骨盤調整法の始まり

物語は戦後間もない1950年代初頭、一人の青年が人生にゆき詰まり旅に出、榛名山の二ツ嶽(ふたつだけ)で一枚の立て札を見つける所から始まります。
青年の名前は五味雅吉(まさよし)。後に「骨盤を正せば体が良くなる」という概念を日本中に知らせしめた骨盤調整法の創設者、その人であります。
立て札にはこう書いてありました。

心あらば
訪ね来ませよ
月花に
感謝くるる
枯れ草のいほ

これは太田垣蓮月という尼僧の歌だそうです。
「その気があればおいでなさい
自然に感謝しながら生活している
粗末で小さな家がありますから」
意訳するとこんな所でしょうか。

その立て札に導かれる様に五味青年はそのいほ(庵)に向かいます。
そこに居たのは麓の伊香保界隈で”絵を描く仙人”と云われた藤井正路(まさじ)という日本画家でした。
17歳から日本帝国展覧会(帝展)に3年連続で入選し「神童」と呼ばれた画家にして、若き頃は教鞭も執っていた求道者の様な一面もある人でした。

正路氏の深い人生哲学に触れた五味青年は、それから3年もの間そこで家族の様に共に生活する事となります。
山での暮らし、仙人画家との触れ合いを通じて自らがどう生きるのかという方向性を見いだした五味青年は山を降り、東京へ帰ってゆきます。

そして、先に東京へ出ていた仙人の娘、美那子と夫婦となり10年後 1964年に骨盤調整法の治療院
「自然良能(りょうのう)会」(※自然良能とは自然治癒力のこと)を立ち上げます。
元々商才にも長けていた五味会長。またたく間に施術法も会も全国規模にしてしまいます。

最も多い時で、60軒以上の支部が全国に、そして海を渡って国外にもありました。
しかし、五味会長の精神的な支柱は、榛名山の山の家で仙人に教わった
「人の為になる事で 自らも救われる」
そんな利他の精神だったと聞いております。

また雅吉師は、人体の構造やしくみ・病気に関する知識を吸収する事や、技の研鑕にも余念がなく。
晩年には名人の様な施術者になっていたそうです。

50歳を過ぎてからこの業界に入り、亡くなるまでの30数年間で出版した施術法や健康に関する書籍は25冊以上。
首都圏に5ヶ所あった直営の治療所への来院者数は、累計で200万人以上。驚くべき実績です。